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ソンショウ 列伝 呉の武将。孫河(兪河。孫策から孫姓を得る)の甥。 【演義】 孫権が兪家からもらった養子。224年、曹丕が呉に侵攻すると、徐盛に従って迎撃する。しかし、命令に従おうとしなかったため徐盛に処刑されそうになり、孫権の取りなしで助かる。徐盛の交戦中に単独で魏軍を奇襲して曹丕の水軍を壊滅させ、徐盛に次ぐ功績を得た。 【正史】 17歳で孫河の兵を受け継ぎ、京城を守った。孫権が帝位に即くと、鎮北将軍として魏に備え、数十年間、国境を守る。斥候を巧みに使って敵の動静をつかみ、ほとんど敗戦しなかった。後に幽州牧となる。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 80 79 75 69 74 377 159 234 順位 71 89 135 254 147 44 69 37 偏差値 60.2 59.7 57.9 55.6 57.7 63.6 60.4 63.2 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 B A C A C S 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 66 67 71 83 53 56 82 72 55 48 79 76 順位 134 118 65 51 176 189 65 53 181 162 19 19 偏差値 58.5 58.8 62.3 63.0 56.2 55.2 62.2 63.1 56.4 56.2 68.8 69.5 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 推進 水上でZOC無視 マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 127 揚州 能力 中華統一 臨機応変 3/5 3/5 2/3 188 207 241(54歳) 自然死 猪突 猪突 豪放 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 時節 ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 孫韶が親愛する武将 なし 孫韶が嫌悪する武将 なし 血縁 世代 ● 1 ● 孫河 2 孫韶 孫桓 3 孫異 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 - 未登場 呉 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 3歳 未登場 呉 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 7歳 未登場 呉 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 13歳 未登場 呉 - - - 0 - - S5 207年 9月 三顧の礼 20歳 一般 呉 孫権 120 - 0 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 24歳 一般 建業 孫権 120 - 2000 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 38歳 一般 建業 孫権 120 破虜将軍 16000 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 柴桑 孫堅 120 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 11歳 未登場 呉 - - - 0 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 16歳 未登場 呉 - - - 0 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 30歳 一般 廬江 孫権 120 - 5000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 0歳 未登場 呉 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 4歳 未登場 呉 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 廬江 - - - 0 - - 全体的に能力は高め。少々政治を上げれば戦闘・内政に使い勝手が格段に良くなる。 だが特筆すべきは騎兵適正A。孫呉には騎兵適正の高い武将が非常に少ないので、騎兵要員として貴重な存在。 特技は上書きで良いだろう。オールラウンダーなのでその時必要な特技を状況に応じて付け替えやすいのも魅力。 -- (名無しさん) 2010-10-31 21 54 03 推進は港防衛戦は地味に活躍 自分の使い方は≪高政治・築城≫持ちと組ませて兵300で出撃 敵の密集地に火船設置で放火。次ターン繰り返し -- (名無しさん) 2010-11-18 19 50 09 能力は高いが特技がヘボいのと、適正Sが水軍しかないので注意。出撃するときは戟と馬を状況に応じて使い分けよう。 -- (名無しさん) 2011-03-28 20 58 15 名前 コメント すべてのコメントを見る
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名稱:孫劍 伺服器及顏色:5服綠類型:文 性別:男 生命值:429 武力:31 智力:21 防禦:11 敏捷:33 運勢:85 敘述:孫玉伯唯一的兒子。本名孫劍如,因嫌如字帶女人味,自己去掉了。孫劍的確是個男子漢就象他父親一樣。他的武功以快、準、狠著稱,沒有華麗的招式,沒有多余的動作。最後死於律香川的暗算。——出自《流星蝴蝶劍》
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孫権 特性:英雄 兵科:歩兵系 弓兵系 友好武将 朱然 孫韶 周泰 備考 孫策が死亡した後の呉の総大将。孫策が死亡しない場合でも孫尚香とともに途中加入してくる。 もともと練度が50あり、水軍兵になっているため川が多いマップではめっぽう強い。また70まで練度を上げ、強弩兵にすると統率の伸びもよい。 戦法に関しては早い段階で援護、後詰、激励、挟撃、一斉攻撃、波状攻撃、倚角など統率系の使いやすい戦法を多く覚える。特性の英雄も相まって使い放題も可能。 ただし、劉備や曹操と違い後方奇襲を覚えないため自ら起点となることが難しい。また加入時期によっては階級差が激しく、すぐやられる欠点も。 劉備や曹操と比べ扱いが難しいが郁林にある史記など、アイテムを使いつつ地道に武勲を稼ぐといいだろう。 激励「臆病者は真っ先に死ぬぞ!」 援護「助太刀する!」
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孫策 孫家の長男。孫堅パパの息子。孫権と孫尚香の兄貴。 通称ジャイアン。嫁はジャイ子。 「ずぇ~」という語尾が特徴。策を使うと何処からともなく現れる。 ⇒ジャイアン
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編集 孫観は、後漢後期の人物。兄に孫康。子は孫毓。 臧覇らと共に徐州に割拠した一人。一時徐州牧呂布に協力していた。これが敗れると曹操に帰順したが、彼らの半独立の地位は文帝曹丕の代まで続いた。 情報 (姓名) 姓氏 孫 名 觀 字 仲台(仲臺) 本貫地 泰山郡 兄 孫康 官歴 騎都尉 北海太守 青州刺史 仮節 振威将軍 爵位 呂都亭侯 評 「将軍は深重に被創し、しかれども猛気ますます奮う」(曹操) 死去 太祖の孫権を討つのに従い、戦って創(きず)を被り、薨ず。 号,渾名 嬰子 子 孫毓 事跡 臧霸とともに兵を起こし、陶謙に従って黄巾を討って騎都尉を拜した。 建安三年(198)、曹操と戦う徐州刺史呂布を援護した。 曹操が呂布を破ると、臧霸を使わして兄の孫康や呉敦・尹礼らと共に孫観を招き、厚遇した。 北海太守となった。 臧霸は青州・徐州二州の統治を曹操より任せられると、孫観もまた臧霸と戦伐をともにし、常に先登となり、青州・徐州の羣賊を征し定めて(*1)、その功は臧霸に次いだ。 孫観は呂都亭侯に封じられ、兄の孫康もまた功を以って列侯に封じられた。袁氏との戦いで出征した曹操と南皮県にて会い、子弟を遣わして鄴県に入居させた。 後に偏将軍を拜し、青州刺史に遷った。曹操に従って孫権を濡須口に征して仮節となった。孫権を攻めている最中、流矢のあたるところとなって、左足を傷つけたが、顧みずに力戦した。曹操は労って曰く、 「将軍は深重に被創し、しかれども猛気ますます奮う。まさに国の為に、身を愛すべからずや?」 振威将軍に転じたが、創(きず)は甚しく、卒した。子の孫毓が後を嗣ぎ、彼もまた青州刺史に至った。 年表 所属項目(タグ) 人物 後漢 人物 後漢末 出身 泰山国 官歴 守相 官歴 州刺史 官歴 振威将軍 官歴 節 官歴 騎都尉 爵歴 都亭侯 関連項目・人物 「孫観」をタグに含むページは1つもありません。 編集 -
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ソンケン 列伝 後漢の長沙太守。孫策、孫権の父。呉の武烈皇帝。 【演義】 賊討伐で武功を立て、黄巾賊討伐でも活躍。「江東の虎」と呼ばれる。曹操が発した董卓討伐の号令に応じ、先陣を切って華雄と戦うが、袁術が兵糧を送らなかったため敗北。洛陽で手に入れた玉璽を巡って袁紹と対立し、袁紹派の劉表に襲撃される。その後、袁術と結び劉表と戦うが、蒯良の策にはまり矢岩を受けて戦死した。 【正史】 反董卓連合諸侯が董卓を恐れて戦わない中、孤軍で勇戦し実績を上げた。陽人の戦いで華雄を討ち、董卓に焼かれた洛陽を復興するなど漢朝に尽くした。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 93 90 74 73 91 421 183 257 順位 7 21 149 191 15 6 7 10 偏差値 66.0 64.1 57.4 57.5 66.6 70.3 65.8 68.1 成長期 維持 維持 維持 維持 維持 - - - 能力持続 短い 短い 短い 短い 短い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 S S C A C S 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 95 98 90 107 60 65 93 84 63 55 90 88 順位 7 5 9 4 89 103 29 17 86 89 4 3 偏差値 70.9 73.0 70.9 73.2 59.8 59.7 66.4 69.1 60.5 60.4 74.4 76.3 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 駆逐 自分より武力の低い部隊への通常攻撃がクリティカル マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 126 揚州 能力 中華統一 無頓着 4/5 4/5 3/3 156 184 192(37歳) 不自然死 剛胆 剛胆 尊大 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 時節 ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 孫堅 親愛 韓当、黄蓋、程普 韓当、黄蓋、祖茂、孫臏、程普 嫌悪 董卓 なし 血縁 世代 ● ● 1 孫堅 孫静 孫羌 2 孫策 ①孫権 孫翊 孫匡 孫朗 孫尚香 孫暠 孫瑜 孫皎 孫賁 3 孫氏 孫魯班 孫登 孫和 ③孫休 ②孫亮 孫泰 孫綽 孫恭 孫鄰 4 ④孫皓 孫秀 孫綝 孫峻 孫震 孫歆 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 29歳 君主 下邳 孫堅 - - 8000 - - S2 190年 1月 反董卓連合 35歳 君主 長沙 孫堅 - - 12000 呉国太 - S3 194年 6月 群雄割拠 - 死亡 - - - - - - - S4 200年 1月 官渡の戦い - 死亡 - - - - - - - S5 207年 9月 三顧の礼 - 死亡 - - - - - - - S6 211年 7月 劉備入蜀 - 死亡 - - - - - - - S7 225年 7月 南蛮征伐 - 死亡 - - - - - - - S8 251年 1月 英雄集結 - 君主 柴桑 孫堅 - - 10000 呉国太 - S9 198年 1月 呂布討伐戦 - 死亡 - - - - - - - S10 203年 1月 袁家の戦い - 死亡 - - - - - - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 - 死亡 - - - - - - - S12 187年 4月 何進包囲網 32歳 君主 呉 孫堅 - - 9000 - - S13 191年 7月 序を制する者 36歳 一般 宛 袁術 99 牙門将軍 15000 呉国太 - S14 251年1月 女の戦い 一般 長沙 孫尚香 120 奮威校尉 5000 呉国太 - 固有セリフ クリティカル「江東の虎とは[一人称]のことだ!」 「これが虎の牙よ!」 「孫呉の武威、ここに示さん!」 一騎討ち「孫文台、見参!虎が何故強いか、教えてくれようぞ!」 捕虜登用失敗時「【一人称】も虎と呼ばれた男 そう簡単に飼い慣らせると 思わぬことだ」 捕虜拘留時「江東の虎ともあろう者が……」 後継者になった時「利得の前に目を曇らせる諸侯よ 【一人称】はお前たちとは違う 天下万民のため、戦ってみせる!」 処断時「見よ! これが江東の虎の死に様だ!」 駆逐を活かした編成が出来ないうちは奥さんと一緒に出陣して戦法クリティカル率を上げておくといいかも 武力90で螺旋突や横薙、旋風のクリティカルを積極的に狙えるのは息子や関張ほどで無いにしろ強みになる -- (名無しさん) 2011-09-27 04 32 00 嫁と一緒だとクリ率上がるの? -- (名無しさん) 2011-09-27 14 55 37 ↑嫁、義兄弟、親愛と同部隊だと上がる 戦争・クリティカルを参照 -- (名無しさん) 2011-09-27 15 18 01 戦後登用成功時の 「お仕えしましょう わしには妻がおります 呼べば飛んで参りましょう」 は固有セリフ?それとも配偶者ありの共通? -- (名無しさん) 2012-04-27 17 23 02 嫁持ちの汎用セリフ。 -- (名無しさん) 2012-04-27 19 26 22 堅君 -- (めいたんてーココナッツ) 2012-08-22 20 30 55 光栄三国志は呉の武将に極端にエコヒイキなデーター。その代表格「孫堅」。 落石の計でやられたんだよね。脳筋武将そのものやん。 そして黄祖に親方の仇を果たせない呉の武将の面々。もっと能力低くてよし。 それでも水軍適正で史実以上の活躍は楽にできるはず。 -- (名無しさん) 2013-01-02 17 19 19 ↑馬鹿の見本みたいなコメすんなよな -- (名無しさん) 2013-01-02 19 38 35 黄祖の能力上げればいいだけでは…? -- (名無しさん) 2013-01-02 19 44 58 戦闘に関しては抜群のセンスを持っていたのは間違いないしこのステータスで問題ないと思うけどな -- (名無しさん) 2013-01-05 06 16 48 いちいち数値に文句つけなきゃ気がおさまらない馬鹿なんだろ 目障りだから↑のゴミの糞コメ消してほしいわ -- (名無しさん) 2013-01-22 00 03 25 お前の糞コメが目障りじゃ(///∇///) -- (名無しさん) 2013-01-22 13 17 02 孫家の血縁支援で最強クラスの援護部隊たちと共に敵を蹂躙すべし しかし長江よりも北に征くと武力90越えがごろごろいるので特技は死ぬ なので書き換えを推奨したい「闘神」がおすすめ潘璋とかの「捕縛」と組ませて 敵を虎の腹に納めよ ちなみに英雄集結系です -- (名無しさん) 2013-06-02 13 23 30 戦の才能は曹操に引けを取らないんだよなぁ。 袁術側に孫堅が付き劉表と荊州を得ようとする。 袁紹側は劉虞を担ぎ曹操がつく。 荊州の連中が(ゲームバランス上しょうがないけど)低く評価されてるだけ。 -- (名無しさん) 2014-10-29 16 02 10 シリーズ9、10、11と曹操との統率差は1~3しかないよ。 9なんか初期アイテムのおかげで4くらい勝ってたはず。 武力も考慮したらむしろ強いんじゃない? -- (名無しさん) 2014-11-07 03 20 06 オレオレ史観で能力値に突っ込む → 空気を悪くする という馬鹿はどこにでも沸く。 概して「結論ありきの主張」になりがちな点が特徴。そしてもう1つは「汚点を強調する」 -- (名無しさん) 2014-11-07 03 29 36 そうだね。未明から熱弁ご苦労様。 -- (名無しさん) 2014-11-07 08 36 35 ワロタ -- (名無しさん) 2014-11-08 01 46 46 黄巾の乱でも活躍してるし、対董卓で諸侯が動かない中で呂布や華雄を打ち破 って主力を洛陽から敗走させるってどう考えても凄いと思うんだけど。 ここまで能力で議論される意味が分からない。統率一位でも全然文句ないな自分は。 -- (名無しさん) 2014-12-17 07 58 43 ↑1 それを言い出したら、黄祖は別にしても徐栄に言及しなくてはいけなくなるし 連合に参加していた諸侯の中で董卓軍と戦闘をして勝てそうなのは袁紹・曹操・劉備・孫堅のみ。 袁紹は兎も角として、急遽陳留1郡のみから支持を得た曹操と当時只の傭兵隊長だった劉備に 長沙太守であり、行く先々で太守や州刺史をヒャッハーしていた孫堅と同等の軍事力があったとは到底思えません。 私もここまで能力値で議論されす意味は分かりませんが、統率一位は流石に過大評価だと思います。 -- (名無しさん) 2014-12-17 22 26 22 対董卓戦での他の諸侯の軍事力の有無や「勝てる可能性」とやらがこの人の評価に どこまで影響するかは分かりませんが自分は一位なら一位で何ら不思議ではない武将 の一人だと考えます。(それは勿論曹操や司馬懿等にも言えると思います) まぁ絶対有り得ないとおっしゃるならそれはそれで何の文句もないですよ -- (名無しさん) 2014-12-19 06 50 23 9だと孫子の兵法書のためにかなりのプレイヤーに斬られただろう人。 -- (名無しさん) 2015-01-20 14 37 58 伏兵で弓の攻撃を浴び、さらに落石攻撃を受け、脳みそが飛び出るくらいの…とかなりグロい死に方をしている堅パパ。駆逐は連戦や急襲・強襲、掃討など攻撃系の特技とひじょうに相性が良い。勿論、そういった武将は主将向きの能力だったりするけど… -- (名無しさん) 2016-02-05 20 41 58 この人固有カットイン無いんだよねー。特技の関係上仕方ないけど、有名だからっていう理由だけで見る機会がほとんど無い文官より彼に作って欲しかった。一応彼も有名なんだし。 -- (名無しさん) 2016-09-18 14 42 13 息子・娘も粒揃いな孫呉の父。プレイできるシナリオは少ないが、智勇に優れた将を擁している。宿将たちとともに、江東から天下を狙おう。 -- (名無しさん) 2016-10-29 22 47 53 駆逐の方が神将より通常攻撃強いってホント? -- (名無しさん) 2017-07-14 16 53 37 英雄集結シナリオ可哀想。 人材にも本人の能力も優秀なのに、位置と土地が悪すぎる。 -- (名無しさん) 2017-07-16 17 28 39 周りは水軍でどうにでもなるが、隣が劉備というのが最大の不運。即同盟だろうやっぱり -- (名無しさん) 2017-07-17 15 36 59 特に縛らずやるなら在野に捕縛持ちの馬忠が居るので水上戦なり港棺桶なりで劉備軍の戦力を削ぎまくれば いきなりガチっても特に不足はない 金は魯粛が居るから余った人材で港から輸送してくれば特に困らない ・・・まあCOMはそんなに上手く活用してくれない上 周りの港を落とす→そこに兵置きっぱなしにして捨てるを繰り返すせいで伸びてくれないのだが -- (名無しさん) 2019-08-31 00 50 26 優秀 -- (名無しさん) 2021-09-25 19 38 44 名前 コメント すべてのコメントを見る
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imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 孫イー 孫いー 孫暐 雑誌popteenモデル ポップティーンモデルブログ Popteen (ポップティーン) 2008年 03月号初表紙 孫イー タイトル1URL ブログ開設,概要 ブログでの出来事・報告 最新投稿 タイトル2URL ブログ開設,概要 最新投稿 タイトル3URL ブログ開設,概要 関連ブログ 外部リンク モデルブログwiki simpleapi_img タイトル1 いーちゃんBLOG URL http //sblog.gw.tv/son/ ブログ開設,概要 スタイルウォーカーブログ 2007年12月25日投稿開始 ブログ開設から5095日経過 2007年12月開設ブログ ブログでの出来事・報告 最初の投稿 ☆はじめまして☆ 最新投稿 showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。 タイトル2 孫イ - Popteen Model Blog URL http //www.popteen.jp/modelblog/soni/ ブログ開設,概要 Popteen Model Blog ギャルズブログ 2008年03月21日投稿開始 ブログ開設から5008日経過 2008年3月開設ブログ 最新投稿 showrss プラグインエラー RSSが見つからないか、接続エラーです。 タイトル3 いーちゃんblog URL http //blog.crooz.jp/usr/4000482/891013/top.php? ブログ開設,概要 croozブログ 2007年11月7日投稿開始 ブログ開設から5143日経過 2007年11月開設ブログ 関連ブログ #bf 外部リンク 孫イーブログ(ギャルブログ集) モデルブログwiki 上へ -
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編集 孫毓は、孫観の子。後漢末、魏の人物であろう。 父の爵位呂都亭侯を嗣ぎ、職官でも父と同じく青州刺史に至った。 情報 孫毓 姓氏 孫 名 毓 本貫地 泰山郡 父 孫観 爵位 呂都亭侯 官歴 青州刺史 事跡 年表 所属項目(タグ) 人物 後漢 人物 後漢末 人物 魏 出身 泰山郡 官歴 州刺史 爵歴 都亭侯 関連項目・人物 「孫毓」をタグに含むページは1つもありません。 編集 -
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登録日:2009/07/19 Sun 22 30 05 更新日:2024/04/03 Wed 10 51 21NEW! 所要時間:約 8 分で読めます ▽タグ一覧 GP03 やわらかい方のそんけん アル中 ガンダムアストレイ 三国志 三國無双 世界史 中国 中国史 君主 呉 太祖 孫呉 孫家 孫権 弟 後漢 恋姫無双 江東 漢 皇帝 碧眼? 老害 蓮華 虎 酒乱 酒好き 騏驎も老いては駑馬に劣る 孫 権(そん けん)とは「三国志」時代の呉の国の初代皇帝。 孫堅の息子で孫策の弟。 呉郡富春県出身。字は仲謀。 生年:182年 没年:252年 【生涯】 偉大なる父兄 192年、まだ十歳の少年だった頃に偉大なる父・孫堅を亡くす。 黄祖の部下の放った矢に当たったとされる。 孫堅は、天下に鳴り響いた剛勇の士であった。その父を早くに亡くした権は、兄・孫策の背を見て成長した。 父の背も広かったが、兄の背も広く、大きかった。孫策は強く、各地の豪族を撃破しては従えて、その勢力を急速に伸張させていった。 孫策にはかつての大猛将・項羽の風があり、その勢いは天下を窺うに足るものであった。 しかし、200年。 「小覇王」孫策は二六歳という若さにして、刺客の手に落ちる。 孫権は愕然とした。これからだというときに、兄を失ったのである。 父と兄に、天命は無かったのか―――。 しかし、悲嘆に打ちのめされている場合ではなかった。 父と兄の遺した将兵と家臣をまとめ、この勢いを継がなければならない。 一九歳にして、孫家の軍閥の当主となり、有能の士を広く求め、各地を巡察した。 張昭曰く。 「殿が守るべき孫家は、いまだ健在なのですぞ。国家の大事を治めるべきは、ただ今にござる」 国老と讃えられるべき忠臣の声であった。 激動 203年、孫権は荊州の劉表の配下である黄祖の討伐に乗り出すが、凌操を失うという痛手を負う。 しかしこの戦いで孫権軍の追撃を阻止した張本人である甘寧が投降してくる。これにより戦況が好転し、黄祖を討ってその首を父の霊前に捧げることができた。 その後も山越族の反乱や家臣の内部分裂などが起こるたびに孫権はよく治めた。 208年。 孫権だけでなく、この208年という年は中国全土において激動の年となる。 全ては、曹操が大軍を率いて劉表討伐に赴いたことから始まる。 劉表は長らく荊州を支配していたが、北と南の戦いどちらにも興味を示さず、ただその流れを傍観していた。 八月、劉表死没。病死とされるが、曹操の軍団の鬼気に当てられたようでもある。 劉表存命時より降伏論に傾いていた荊州陣営は、襄陽(荊州の都城・じょうよう)に曹操軍が迫るや、全く抵抗せず完全降伏した。 曹操はこのまま、我が国を一息に陥落せしめんといたすであろう――― 孫権の総身には粟が立った。家臣たちは曹操の軍を恐れ、降伏と抵抗の二派に分かれて口論した。 そこへ、曹操からの文書が届く。 曹操の恋文 曹孟徳曰く。 「水温かく、風暖かきこの時。四方の賊を滅し、乱を平らげしこの時、世はまさに泰平の極みにあります。 そこでどうでしょう、呉の地で共に狩猟でもいたしませんか。呉の虎児は、さて、いかほどの猛虎に成長したのでありましょうか」 孟徳一流のラヴ・レターであった。 孫権に手紙を見せられて、軍議の場は騒然となった。 曹操は、いわば巨人に成長していた。荊州の併呑によってこの巨人はさらに力を増している。 江南の支配を確立して間もない孫権とは力の差が大きすぎ、単独ではとても太刀打ちできる相手ではない。 孫権が取り得る方法は、敗北を覚悟で決死の戦いを挑むか、全面降伏するか、どちらかであった。 軍議の場は、降伏論が圧倒的だった。張昭を筆頭とする文官はもちろん、軍人の多くもそうであった。 孫権自身の腹積もりはどうか。 正史(呉主伝)には、こう記されている。 「ただ周瑜と魯粛だけが曹公を拒むべきだという意見を頑強に主張し、その気持ちは孫権の意向と合致した」 とある。 この文から読み取れるのは、父と兄が夢見て戦い、ここまで成長させてきた国を簡単に手放したくないという強い意識である。 周瑜は言う。 「亡き孫策が、私たちを見ている。降伏なぞしたら、黄泉で彼にあわせる顔がない いざとなったら私一人で曹操軍を追い返してみせる。」 魯粛も続く。 「他の文官は皆自分のことしか考えていない。我々は降伏しても名族としての名声で食っていける。だが実力だけでのし上がった貴方には何も残らず、お情け程度の財産を与えられてそれだけで余生を過ごす事になる。」 孫権は最終決定者として、曹操による統一を許さず、戦うと宣言する。 そして剣を抜き放ち、目の前の机を一刀に両断した。 「これより、私の命令に従わぬ者はこの姿となる!」 この瞬間、「三国志」という物語の世界が完成されたと言ってよい。 このときに孫権が戦うと決断しなければ、曹操による覇権が確立して、三国時代は到来しなかったからだ。 長江炎上して後 曹操と戦うことを決断した孫権。ここに劉備が合流した。 実は、劉備一行には戦術的にも戦略的にもたいした価値はない。しかし孫権は同盟を結んだ。それは、諸葛亮の兄である諸葛瑾や、魯粛が勧めたこともある。 だが、最初の動乱より今までずっと戦場を馳せてきた徳の将軍・劉備もついているぞ、という内に向けたプロパガンダのような気もするのだが、どうであろうか。 赤壁の戦いとして知られる戦いの詳細は割愛する。 結局、この戦いは孫権軍の勝利で終わった。 曹操を退けた孫権だが、この後、劉備との間で峻烈な荊州争奪戦を繰り広げることとなる。 曹操を撃破したという事実は、孫権軍の士気を大いに奮い立たせた。周瑜は曹操軍の追撃を開始し、荊州の奪還を狙う。 曹操は江陵(こうりょう)に曹仁を置き、襄陽に楽進を残して退却している。 周瑜は南郡まで軍を進め、江陵城に立て篭もる曹仁を包囲しようとした。 ここで、周瑜にとって思わぬ誤算となる動きが出て来る。 荊州への後詰めとして進軍しているはずの孫権が、何を思ったか荊州ではなく合肥(がっぴ)に軍を進めてしまったのだ。 合肥は劉馥(りゅうふく)によって大幅に強化されていた。堤防の築堤、城壁の守禦、土塁の修築などが、いざというときのために備えられていたのである。 劉馥自身は逝去していたが、この防備は孫権の合肥進攻をよく妨げた。 周瑜は自らも肩に矢を受けながらもなんとか南郡を落としたが、荊州南部の四郡はすでに劉備の支配下にあった。 将星墜つ しかしながら、長江より曹操を退けたことで孫権は最大の危機を乗り切った。孫権にとっての赤壁戦最大の戦果は、父も兄も経験していない曹操との直接戦闘を行い、勝ったことによる自信だろう。 200年、孫権は長江を遡って益州を奪うという、周瑜の遠征計画を承認する。 漢中の馬超と同盟し、曹操を挟撃するというものであった。 しかし間もなく周瑜は病魔に追い付かれ、世を去る。 周瑜の死をきっかけに、孫権は国家戦略の重心を外征から内政に移していく。 それは、いつの日か夢見た、小覇王と美周郎の天下の終わりでもあった。 軍神撃滅 周瑜の後任には魯粛が就き、表面上は友好関係が続いた。孫劉両者の間に 「劉備が益州を領有するまで、劉備は孫権より荊州を借款する」 という約束が交わされた。 その後益州を手に入れた劉備だが、荊州を返還する気などさらさら無かった。 のらりくらりと孫権の言葉を回避し約束を反故にしようとしたため、両者の関係は悪化した。 そして仲を取り持っていた魯粛の死去とともに、孫劉の間には大きな亀裂が入った。 219年八月、劉備の漢中併合に際して関羽が北上。 孫権は陸遜と呂蒙に荊州を乗っ取らせ、関羽を攻撃。 進退窮まった関羽はついに斬られた。 222年、怒りに燃える劉備を陸遜に命じて敗走させる(夷陵の戦い)。 229年、皇帝を自称し、呉の初代皇帝(太祖)となり、元号を黄龍と定めた。 治世の陰り 後継者としていた孫登が三十三歳で早世すると、徐々にその洞察力、眼力を弱まらせる。 250年、孫亮を太子に立てるが、この後継者決定のごたごたで陸遜をはじめとする建国功臣たちを大量粛清&左遷(二宮事件)。 国を支える人材を内輪もめで失ったことが、呉が魏に水をあけられる決定打となったと言われる。 252年、七十一歳で死没。蒋陵に葬られた。 【人物】 「性格明朗、仁徳に溢れ、決断力に富む」 と、史書にはこう記されている。 老境にいたってからの朦朧ぶりはいかんともしがたいが、 それでも建国の英雄を喪って崩れかかる国を支え、よく治めた点は、曹操・曹丕や劉備に勝るものだろう。 曹操の侵攻を退け、領民たちにも仁をもって接したので、名君といって差し支えない。 とはいえ一方に陽があれば陰があるのが人間というものである。彼については、 酒乱であった という話がある。 大帝酒乱 孫権は酒好きでよく部下に絡み、 「わしの酒が飲めないやつは池に落ちて溺れろ」 とか言ったとか言わないとか。 呉王に封じられた際の宴では、終幕近くになってから、孫権自らが家臣たちに酒を酌いで回るという、ありがた迷惑極まることをやらかす。 この時、床に倒れたまま、孫権の杯を受けようとしなかったのが虞翻(字は仲翔)という文官。 「まぁ、ここまで酔っ払っているなら、しゃあない」 と次なる犠牲者を探しに席を離れる孫権だったが、その途端、虞翻はムクリと起きあがり、キチンと座り直した。要するに酔い潰れたフリをしていたわけだ。 虞翻としては、 (いい加減、てめぇの酒癖の悪さに気づけよ。皆、迷惑してるだろう) と言外に諫めたつもりなのだろうが、この態度にブチぎれた孫権は虞翻をぶった斬ろうとした。 他の家臣の諫止もあって、この場は如何にか収まったが、この宴のあとに孫権が出した命令が、 「私が酒に酔って出した命令に従ってはならない」 とまで言っていたものだから、よほど酷い悪酔いであったことが予想できる。 元々、呉国は豪族の寄り合い所帯の様相を持っていたから、その方面での気苦労も絶えなかったのであろう。 政治制度 三国時代の諸勢力は、多かれ少なかれ豪族連合という要素を含んでいるが、特に孫呉はその傾向が極めて強い。 孫呉において皇帝である孫家は盟主に過ぎず、各豪族には領地において広範な自治権が与えられており、末期には過酷な取り立てによる反乱も頻発していた。 これは、江南の地を網の目のように走る長江の支流が、そのまま豪族たちの領土の境界線になるという地政学上の要素に基いている。 孫呉の兵力の多くが豪族たちの部曲(私兵)であり、孫呉の武将たちは孫権から兵を預っているのではなく、自分の私兵を率いて闘っていた。 孫呉の武将の多くは、「俺は自腹で戦いに参加している。孫権に従うのは利害が一致しているからに過ぎない」という意識が腹の底にあるため、盟主である孫権との利害が一致しない場合、平気で指示に逆らったり、味方をぶった斬ったりする。 私兵である以上、その運用にも孫権の裁可を必要としない。 例えば、凌統が仲間になった後も、亡父の仇である甘寧を長年ブッ殺そうと付け狙っていたり、約束を破った甘寧にブチぎれた呂蒙が勝手に兵を動かし重臣同士の抗争に発展した例もある。 これらは、他の国では内乱に相当するが、孫呉では己の部曲を如何しようと主君にトヤカクいわれる筋あいはない。 また、部曲は私兵であることから、指揮官が死んだ場合は残された親族が兵権を継ぐという、魏や蜀漢では考えられない制度が罷り通っていた。 流石に孫権もこの制度はマズイと考えたらしく、先代である孫策の没後、孫呉軍の再編計画を企図した。 しかし、閲兵の日にキンキラキンの華麗なる軍装を纏った一団に目を奪われた孫権は、 「これほどの軍を再編するのは惜しい」 と考えたのか、再編計画を白紙に戻してしまった。 なお、この軍団を率いていたのは、義兄の兵を継いだばかりの若き日の呂蒙だった。 以下は蛇足である。 【余談】 VS張昭 江南一の頑固爺・張昭は、とある会議で孫権に意見を出したが、却下されたので家に引きこもってしまう。 後になってから孫権は張昭の意見が正しかったと思い、張昭の家に謝りに行った。しかし張昭は意地を張って出てこない。 腹を立てた孫権は門を土で塗り固めた。張昭も内側から土を塗り固めて出ようとしない。 キレた孫権はついに張昭宅に火計を仕掛ける。それでも張昭が出てこないので、慌てて火を消した。 張昭は息子たちになだめられてようやく家を出た、というお話である。 VS虞翻 先のように孫権を諫めた虞翻であるが、狂直とまで言われるほどに自分が正しいと思ったことを言うため、孫権は鬱陶しがって一度左遷してしまった。 その後虞翻は呂蒙に誘われ関羽討伐に従軍し功を挙げたため再び中央に戻ってくるが、態度が改まることはなく孫権に対して前述のような行為をした他に孫権以外とも酒の席などでトラブルを起こすことが多かった。(*1) ある日張昭と孫権が神仙について雑談していると聞き耳を立てていた虞翻が嫌味を言ってきたためシラフでこれでは…と思ったのか再び左遷、虞翻はそこで生涯を終えることとなった。 魏呉蜀に限らずどんな賢者と言えど、同僚からもウケが悪く理解されないほど社交性のない人間は組織から外されてしまうのである… VS孫策 孫権は皇帝を名乗ったため死後に与えられる諡も帝号で父孫堅にも帝号が諡されているが、兄孫策にだけは帝号でなく王号を諡している。 建国の祖に対して帝号を諡しないのは当時としては非常に異端であったが、前述のように孫呉が豪族連合であったため、権力の分散を招きかねずやむなくそうしたものと思われる。 しかし後に孫皓によって皆殺しにされ絶えている。 【各作品での孫権】 三国志三英雄の中では他2人より世代が1つ下、孔明よりも年下というのもあって、 赤壁あたりで再現が終わりがちな後世の二次創作においては若さ(≒青さ)を強調されることが多い。 ●横山三国志 孔明にいい様にされたり、陸遜がいないと何もできないかませ犬。北伐の頃になると風格出てるけど、出番少ないし…… ●蒼天航路 猛獣使い。まんま江南の虎。 ●レッドクリフ 演:張震 吹替:平田広明 孫呉から見た赤壁がテーマ、つまり主役側なので出番は多い。 ●白井式三国志 チリチリパーマ。史上稀に見る音痴。 ●三国無双 PS2版初代から登場。父や兄でプレイすると当主になれない不憫な子。 3からは周泰が登場するが、余計にお坊ちゃま感が増している。 ノベライズ漫画では孫家で唯一損な役回りを演じるネタが多い。 5と7のIFルートでは三国鼎立の世そのものに平和の形を見出す。 詳細はこちら。 ●恋姫†無双 真名は蓮華でCV風音。 人気NO.1。 ●一騎当千 女性。主人公・孫策と似た容貌をしている。アニメ第3期から登場するが実は偽物で、その正体は大喬。 後に原作最終章『真・一騎当千』にも本物の孫権が登場した。 ●BB戦士三国伝 演者はGP03、CV 島﨑信長 主人公の一人であり、劇中で空気過ぎたためか某wikiとかだと『あの夏』が初主演という事になっているけど一応中の人初の主役キャラ。 出番が少ない上に序盤はヘタレ気味だったが、たまに漢を見せる。 ●SDガンダムワールド 三国創傑伝 演者はガンダムアストレイ レッドフレーム。CV 天崎滉平 本作では親父が一向にくたばらないため、どうしてもパパがメインになりがちで影が薄い。 普段はビビリだが、怒ると怖い。パイレーツワールドで死ぬほどシゴかれたため海賊が苦手。 ●覇~SOUL~ 周瑜に殺されて、周瑜が孫権になると訳の分からない事になる。 ●三国志大戦 1では1.5コストの英傑号令持ち。イラストでは机の角を切っている。 しかし後方に控えなければならない弓兵でありながら範囲が自分中心の横長長方形であったため採用率は低かった。 その後敵の攻城をほぼ無力化する顔が濃いやつが出たり、味方を強化してその場から動けなくする好青年が出たりと割と遊ばれている感じがあった。 2では1での面影はバッサリ切って、風間雷太氏のイラストに。 号令の範囲がようやく前方長方形に変わり、使いやすくなった。 ちなみに上記の顔が濃い奴と好青年は合体した。 3では武力が下がって知力が上がり、さらに柵を取り戻した。 好青年は行方を晦まし、追加されたのは号令と守成を併せ持った槍だった。 最新作では何と2コストにグレードアップ。しかし武力6止まりで火力がしょっぱい。 そして大体孫権と言えば2枚出るのがお約束みたいなところはあったのだが、今回追加されたのは空手キーパーだった。 他にも丸太を持ったケンちゃんも登場、明さんのように勇ましい。みんな丸太は持ったな!よし、行くぞォ! ●ウルトラマン英雄伝 多くのファンが「三兄妹の次男だからブルだろ」と予想していたが演者はウルトラマンジード。 数少ない青い目を持つウルトラマンだからであろうか? ちなみにベリアルは呂布である。 ●くにおくんの三国志だよ 全員集合! 演者はくにおのライバル「りき」だが、そのくにおが関羽を演じている上に話が赤壁の戦いで終わるので 戦いも共闘も余りしないという、くにおりきにしては珍しい関係となっている。 …と思いきや「冗談ルート」においてはくにお君が作戦を無視して曹操軍相手に暴れるも肝心の曹操には逃げられるという体たらくでそれにブチ切れて配下と共に襲ってくるラスボスと化す。 本人が強い上に周りには孫権軍の精鋭が揃っており、ぶっちゃけ熱血ルートや正史ルートのラスボスよりも強い。 冗談じゃなくこのゲーム最強の敵であり苦戦は必死と言えよう。 なおあくまで三国志の話をくにおくんのキャラが劇として演じているため、アクション要素に三国志っぽさはほとんどない。 孫権りきがその数少ない例であり、なんと机を投げつけるモーションがある。しかもそれが強い。 黄泉の元で苦い顔をしている大皇帝に、乾杯。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] レッドクリフでは兄属性。 -- 名無しさん (2013-09-05 04 37 31) 途中までは良く治めてたのにねぇ…孫登が死んでなけりゃさっさと位譲って引退して名君で終わってたかも。 -- 名無しさん (2013-09-05 04 47 06) 実際多分そうなった。名君ではあるんだよなぁ…。折角環境的にアレな江南で元気に長生きできたのにそしたら晩年が。ままならんな -- 名無しさん (2013-09-05 09 34 35) 正史の王表の話は他の列伝に比べてかなり異色 -- 名無しさん (2014-10-14 15 55 31) まあニ宮事件は、孫権的には有力豪族の粛清&中央集権化って面もあるから,一概にボケジジイになってたとは言えない部分もある。 -- 名無しさん (2014-10-14 16 20 52) 晩年のコイツは劉禅以下。 -- 名無しさん (2014-11-04 17 20 59) 最終的には宗教にのめり込むあたり豆腐メンタルだったんだろうなあ -- 名無しさん (2015-03-11 19 31 43) 何処と無く豊臣秀吉を連想する。 -- 名無しさん (2015-06-12 11 01 30) 「勾践の奇英あり」ってタグ付けらんねえかな -- 名無しさん (2016-02-26 21 13 33) 歴史人やマンガとかで孫権の闇の部分が明かされる所が多くなったと思う。一騎当千でもその事が描かれ始めてたわ。 -- 名無しさん (2016-07-18 21 02 17) 晩年の苦労を見ると、大暴れして燃え尽きた父や、努力が実った直後に急死した兄はまだ幸せだったのではと思い始めたぜ -- 名無しさん (2017-06-18 17 34 09) 豪族連合的な勢力が安定期に内部で荒れるのは権力集中のためには仕方ない面もある、日本では武田家なんかが近い構造だよな -- 名無しさん (2017-09-17 23 35 13) 魏との関係が悪くなると凄い卑屈な手紙送って、それでも息子が人質になりそうになったら直前に関羽殺して大喧嘩した蜀に同盟持ちかける。とにかく生き残るためにはメンツもプライドも犬に喰わせる判断がちょっと引くレベルで凄い -- 名無しさん (2018-05-18 15 48 32) 19歳でいきなり国を背負わなければならなくなって、能臣に恵まれたとはいえ大変な気苦労をしたのは間違いない。酒癖の悪さや晩年の耄碌はその反動だったんだろうな。 -- 名無しさん (2019-04-06 20 30 15) 関羽の居丈高に耐え、曹操が220年で病死して魏が後継者でゴタゴタになるのを待っていたら、呉が天下を狙う事も夢ではなかっただろう。孫権はチャンスを潰してばかりにしか見えない。 -- 名無しさん (2019-06-24 18 56 28) 曲者揃いなんてレベルじゃない江南の豪族達をしっかりまとめていたのは紛れもない傑物の証なんだがなあ…。やっぱり晩節を汚した感が拭えないのが残念よな。 -- 名無しさん (2020-06-18 10 40 18) 同盟国だけでなく、晩年は陸遜、孫和の家臣に家族までも裏切りを働いたから、孫権は好きになれない。 -- 名無しさん (2020-08-16 06 59 08) 孫権が一番ダメなのは、魏との戦いに消極的だったこと。というか外征をまずしないところ。彼の領土拡張といえば、まさに魏と戦っている関羽を後ろから討って足を引っ張ったぐらいで、しかもそれまでして荊州を取ったのに、それで魏に挑むわけでもない。合肥・徐州方面と両面作戦も取らない。ちょっと苦戦したらすぐ諦める。正直、長江を越えては攻めてこないだろうと、太平楽を決め込んで安閑としていた劉禅レベルの愚君としか思えない。そもそも、豪族を束ねて国をまとめる「だけなら劉禅でもできるわけで。正直、孫権が劉禅より優れていた点なんて、 -- 名無しさん (2020-08-16 08 17 09) 途切れた。 「君主としての挙げた業績」を見れば、劉禅と孫権はまったくの同レベル。「三国志の三人の皇帝」というからなんとなく劉備や曹操と同レベルと見られているが、年代的には劉禅や曹叡と同等の、現状維持が限界な、冴えない凡君だとしか見えない。 -- 名無しさん (2020-08-16 08 24 19) 220代末~240頃まで随分攻め込んでるんだが。孫登が死んでからは国をめちゃくちゃにしちまったのでそれどころじゃなくなったが -- 名無しさん (2020-08-16 14 19 20) 234年の合肥侵攻なんか孫権が親征して合肥が危なくなって曹叡も親征している。同時進行の五丈原の戦いが目立ってるけど、皇帝同士の親征対決は三国時代通じてもこれくらいじゃなかったか。 -- 名無しさん (2020-08-16 14 50 26) 関羽を捕殺すれば劉備の怒りを買い、呉と蜀との全面戦争は避けられず魏に漁夫の利を与えるのは明白。孫権は荊州ほしさで蜀を裏切るべきでなかった。 -- 名無しさん (2020-08-17 06 23 58) 呉にとっても荊州は必争の地だよ。何か蜀ほど必要としてないかのように勝手なこと言ってるのをよく見かけるが -- 名無しさん (2020-08-17 20 51 47) 呉の豪族どもは欲しがるだろうけど国家戦略的にはどうなんだ? -- 名無しさん (2020-08-17 21 06 22) 長江が防衛の要の呉にとって長江上流側にある荊州は是が非でも自国支配下に置いておきたい土地だと思う -- 名無しさん (2020-08-17 21 31 33) 蜀から関羽と荊州を奪い取れば呉蜀外交は大幅に呉有利。蜀降参まではいかなくとも、蜀が実質格下な同盟関係くらいに持ち込めば呉大成功だし、普通そうなる(実際諸葛瑾使って和平持ち掛けてる)。劉備がマジギレして呉に侵攻したのが呉側の戦略も崩してる可能性は高いと思う。 -- 名無しさん (2020-08-17 21 44 46) ↑自分からぶん殴って喧嘩を売っておいて相手は殴り返してこないだろうとか只のバカだろ -- 名無しさん (2020-08-18 00 12 05) ↑元々蜀呉は9割詰んでるけど殴り返すと蜀が完全に詰むから足元を見たんだよ、だから諸葛亮も劉備を止めようとしていた。ただ9割詰んだ状態で弱い方の足元を見るのも良くはない -- 名無しさん (2020-08-18 00 28 40) ↑2 それは侠客の思考であって外交を -- 名無しさん (2020-08-18 01 20 49) する者の思考ではない。どうせ自分たちと同盟を希望するだろうからそこで色々足許見て有利な同盟にしてやろう…と呉は考えたんだろうが、劉備の侠客思考を読み切れていなかった…というのが自分の仮説。 -- 名無しさん (2020-08-18 01 23 18) 孫権は、荊州を取ってからどうするのかのプランがないのが問題なんだ。荊州を足掛かりにして、西進して益州を併合し南方統一勢力を作るとか、合肥ルートとともに北進して魏を翻弄しつつ領土を広げるとか、そうした積極的な外征をしないことに問題がある。続く五胡十六国時代が「内ゲバの激しい南北朝時代」だったように、揚荊益交の南部四州を束ねることはできたはずだし(てか交州までも制圧したわけだし)、現に周瑜や甘寧にはそういうプランがあった。しかし孫権は蜀を滅ぼすでもなく魏に挑むでもなく、ちょっと攻撃しても相手の防御が硬いとか援軍が来るとかになるとすぐに撤兵してしまう。基本的に受け身なんだ。 -- 名無しさん (2020-08-22 16 57 46) 続 孫権にとっての荊州は、勢力拡大の足掛かりではなく、揚州を守る防波堤でしかない。でもそんな受け身の戦略では延命策の弥縫策に過ぎんわけだよ。蜀が漢中を「魏に挑む前進拠点」ではなく「魏の侵攻を阻む防衛線」にしたら、魏は強くなり蜀は先細るしかない。孫権は荊州を防衛線ではなく前進拠点にしなければいけなかった。国内にしても、好き放題の豪族層を削減する(李世民の貞観氏族志など)とか、せめて強く束ねる(袁紹)とか、そういった改革はしていないか実を結んでいない。現状維持を続けて緩やかに衰退しただけで、内外ともに劉禅レベルだよ。 -- 名無しさん (2020-08-22 16 58 29) ↑劉禅は一応最後まで北伐事態は支持してたしな。それに孫権と違って跡継ぎ騒動や内乱はなかったし。もっとも蜀は最初から国力が小さ過ぎて初めからほぼ詰んでる状態だったけど -- 名無しさん (2020-08-22 23 46 18) 曹操は天下の統一、劉備は漢の復興と明確な目標を持って戦ってるのに、孫権は魏が有利になれば蜀に付き逆に蜀が有利になれば魏に付く蝙蝠をするだけ、仮に諸葛亮か姜維の北伐が上手くいったら、また蜀を裏切って魏に付いてただろう。 -- 名無しさん (2020-08-23 17 33 26) それは蜀だけが片っぱしから魏の領土を奪うのに成功し、呉自身はそんな状況でも何一つせず指をくわえてみてるだけというかなり無理のある仮定した場合だろ。そもそも呉は陸遜健在中は結構魏に攻め込んでるぞ -- 名無しさん (2020-08-25 02 07 07) 単に領土の切り取りという点において全部失敗しただけだからな。結局呂蒙の提唱したようなオール呉よりも荊州を蜀のままにして攻めてた方が良かったんじゃね?とはなる。関羽を殺す前に一度くらいはやって欲しかったね、失敗したら不満爆発で命運絶たれるけど -- 名無しさん (2020-08-25 02 38 05) 夷陵戦後は張遼の後釜の満寵に阻まれて合肥を超えられなかったんだ、220年で曹操、222年で張遼が病死するんだから、孫権は待つべきであった。 -- 名無しさん (2020-08-26 21 39 02) それは結果論すぎる、実際に張遼が病んでても侮るなっつってるし -- 名無しさん (2020-08-26 22 04 26) ↑曹操だって袁紹が病死して後継者争いになった所で袁家を攻めたんだ、相手が病死するのを待つのも手の内だろ。後の徳川家康も豊臣秀吉が亡くなってから天下取りのために辛抱強く待ったんだし。 -- 名無しさん (2020-08-27 06 49 54) 病死や寿命は相手だけじゃなく、自陣営にも等しくやってくる。現に死にかけならともかく、いつか分からない病死や寿命を待って自分の所の有力者に先に死なれたら勝機は遠のく。家康も曹操も「結果的に生じた好機をうまく使えた」だけで寿命待ちを意識したのはそれこそ死にかけの報が入った時くらいだろうよ。 -- 名無しさん (2020-08-27 11 56 25) 耄碌やらの情報が先に入る昨今で調べてみたら普通に名君だったわ。 -- 名無しさん (2021-08-21 05 42 51) 劉禅以下とかありえんって感じだ、あんまりこ極端な意見をそのまま信じるのは駄目だな。 -- 名無しさん (2021-08-21 05 45 04) 北伐プランがないから無能とかそれただの北伐厨だしな。そもそも孫権は北伐派で国内で内政専念しろって対立も起きたほどだ。しかし豪族連合は攻撃には一致団結できない体質で孫権死後も誰も成功できてない。これはもう体質の問題でしかない。そして防衛線の完成が荊州奪取で成功したことで国内がどんなに滅茶苦茶になっても三国で最後まで残ってたという結果になった。これは結果的に国家戦略として成功ということだろうよ。 -- 名無しさん (2021-09-01 18 16 23) 荊州を蜀のままにして攻めたほうがいいなんてただの蜀好きだけだろう。長江の上流をあの関羽のままにしておいたらどう考えてもいずれ攻め込まれる。こんな危険な状態をそのままにしておく君主はいないしあの奪取は時期合わせて的確。あと呉をまとめるならだれでもできるとか言うのがいたが、小さな連合国をまとめるのは相当だぞ、税金も土地も民も軍も全部各個保持してるわけでそいつらを公平に扱いなだめてかつ舐められずに他国からの防衛もしなければならない。こんな常にトップの地位が危うい国は呉くらいだ。そんな注意を怠って進むことだけして失敗したのが孫策だからな。 -- 名無しさん (2021-09-08 02 27 05) なんというか、あのまま魏に帰順する、もしくは孫権存命中は混乱なしならまだわかる。ついでに劉禅以下ってのは、陸遜好きの意見じゃね? -- 名無し (2021-11-10 19 38 57) ↑魏に帰順してどうするんだ?ちょっと意味がわからん -- 名無しさん (2022-02-03 00 06 27) そもそも北上しないなら意味がないから蜀に渡せなんてめちゃくちゃな理屈だわ。蜀だって魏の注意が呉に向いてなければ全く動けない時期が沢山あったし呉にかまけて人を移動させてるタイミングが良いところで漢中取れただけだ。明確な目標というのもわからん、曹操も劉備も孫権も天下統一だが?あと荊州取って何もしてないってそれはそう言うやつが何も調べてないからだろ。呉の北伐はだいたい2方面作戦で荊州と合肥から攻めていってるんだが。無知をここで披露するな。 -- 名無しさん (2022-02-21 03 09 46) 何もできなかった、ってことじゃね? -- 名無し (2022-03-04 19 50 43) 自分の都合ですぐに同盟相手を変えるから同盟国側からすれば迷惑な存在だろう。孫権は呂布や武田信玄よりも質が悪いと思う。 -- 名無しさん (2022-12-17 07 15 55) 虞翻は追放先の辺境を教化し、子供達も皆立派で歴史に名を残してるので人間関係以外は有能な人物だったんだろうな。厳しいだろうけど我慢して使いこなせたら孫権の名声も増したろうに。 -- 名無しさん (2022-12-17 07 40 30) 日本史で言うと武田信玄かな。群雄としては優秀だが天下を取るだけの器はない -- 名無しさん (2024-04-03 10 07 13) 名前 コメント
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ソンケン 列伝 孫堅の次男。母は正妻の呉氏。孫策の弟。呉の大皇帝。 【演義】 若くして孫策の後を継ぎ、江東を支配。208年、父の仇だった黄祖を討ち、劉備と結んで赤壁の戦いで曹操を撃退。以後、合肥(がっぴ)で曹操軍と戦うが、荊州を巡り劉備との対立が表面化。今度は曹操と結んで劉備の義弟・関羽を討ち、関羽の復讐戦を挑んできた劉備も夷陵の戦いで大破して荊州を支配した。劉備の死後、諸葛亮の蜀と同盟し、再び魏と断交。229年、呉を建国した。 【正史】 若い頃、人材掌握では孫策以上と評されたが、晩年は後継者問題を起こし、陸遜ら多くの能臣を死なせた。 能力値 統率 武力 知力 政治 魅力 総合 軍事能力 統+武 統+武+知 素質 76 67 80 89 95 407 143 223 順位 118 282 76 16 4 15 178 84 偏差値 58.4 54.8 60.4 64.7 68.7 68.1 56.8 60.9 成長期 普通 普通 普通 普通 普通 - - - 能力持続 短い 短い 長い 長い 長い - - - 兵種 槍兵 戟兵 弩兵 騎兵 兵器 水軍 適性 B A C C C A 部隊 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 攻撃 防御 値 56 64 60 79 45 53 54 53 47 45 60 65 順位 255 155 151 84 357 233 334 252 330 220 96 46 偏差値 54.2 57.4 57.3 61.3 52.0 53.7 51.4 53.7 52.4 54.3 59.3 63.3 部隊攻撃力/防御力は技巧研究を全て終えた時点での値。兵器は木獣、水軍は闘艦。 特技 指導 技巧研究費用半減。同部隊所属武将(所持者本人は除く)の入手経験値量が2倍に マスクデータ 相性 出身地 起用 戦略傾向 地元執着 義理 野望 漢室 生年 登場 没年 死因 性格 音声 口調 125 揚州 能力 中華統一 重視 3/5 5/5 2/3 182 196 252(71歳) 自然死 剛胆 剛胆 尊大 顔グラの変更は42歳。 舌戦 得意話題 保有話術 大喝 詭弁 無視 鎮静 逆上 故事 ○ ○ ○ ○ 親愛・嫌悪 状態 武将名 孫権 親愛 周泰、朱然 周泰、朱然 嫌悪 張昭 なし 血縁 世代 ● ● 1 孫堅 孫静 孫羌 2 孫策 ①孫権 孫翊 孫匡 孫朗 孫尚香 孫暠 孫瑜 孫皎 孫賁 3 孫氏 孫魯班 孫登 孫和 ③孫休 ②孫亮 孫泰 孫綽 孫恭 孫鄰 4 ④孫皓 孫秀 孫綝 孫峻 孫震 孫歆 イベント イベント名 内容 孫策の死 孫策が于吉との舌戦に敗れた場合、孫策が死亡し孫権が後を継ぐ 呉下の阿蒙にあらず 呂蒙、蒋欽の能力上昇 陸遜登場 陸遜の功績上昇 シナリオ シナリオ 年齢 身分 所在 勢力 忠誠 爵位・官職 功績値 配偶者 義兄弟 S1 184年 1月 黄巾の乱 3歳 未登場 呉 - - - 0 - - S2 190年 1月 反董卓連合 9歳 未登場 呉 - - - 0 - - S3 194年 6月 群雄割拠 13歳 未登場 呉 - - - 0 - - S4 200年 1月 官渡の戦い 19歳 一般 柴桑 孫策 120 武庫令 9000 - - S5 207年 9月 三顧の礼 26歳 君主 呉 孫権 - - 20000 - - S6 211年 7月 劉備入蜀 30歳 君主 建業 孫権 - - 24000 - - S7 225年 7月 南蛮征伐 44歳 君主 建業 孫権 - - 40000 - - S8 251年 1月 英雄集結 - 一般 柴桑 孫堅 120 - 0 - - S9 198年 1月 呂布討伐戦 17歳 一般 呉 孫策 120 左僕射 3000 - - S10 203年 1月 袁家の戦い 22歳 君主 呉 孫権 - - 16000 - - S11 217年 7月 漢中争奪戦 36歳 君主 建業 孫権 - - 29000 - - S12 187年 4月 何進包囲網 6歳 未登場 呉 - - - 0 - - S13 191年 7月 序を制する者 10歳 未登場 呉 - - - 0 - - S14 251年1月 女の戦い 未発見 建業 - - - 0 - - 固有台詞 元服「それがしも孫呉の末裔として 兄上と共に天下を手にすべく 励みましょう」 後継者になった時「【前君主】の遺業は【一人称】が受け継ぐ 皆の者、力を貸してくれ いつか必ず、天下をつかむ!」 孫策の後継者になった時「軍勢を率いて天下に覇を唱える道では 【一人称】は兄上に遠く及ばぬ 皆の者、【一人称】に力を貸してくれ!」 処断時「父上……兄上…… やれるだけのことは やりましたぞ……」 光栄が設定してないだけで、魅力ないだの小人だのひどいだろ 諸葛瑾や魯粛なんかは親愛じゃないのが異常なくらいだし 賀斉・淩統・陳武みたいな子飼いの武官とここまで親身なのは孫権だけだ 嫌悪に孫和・親愛に孫覇をいれても面白いかも -- (名無しさん) 2012-07-27 12 16 31 もっと後期のシナリオがあったらヤバイことになってたろうな いろんな意味で -- (名無しさん) 2012-07-31 20 47 25 孫権の武力、過小評価されすぎ…… 父や兄と同じように勇猛な人物だったというのに -- (名無しさん) 2012-10-25 19 36 38 ↑勇猛とは、良く言ったものだが、どちらかと言うと蛮勇だ -- (名無しさん) 2012-11-26 07 36 56 本当は劉禅と似たり寄ったりなのかもしれない たまたま周瑜・陸遜等の人材を使う才能が花開いただけでは? -- (名無しさん) 2012-11-26 15 13 41 降伏→滅亡・抗戦→勝利という真逆の未来を生む決断した人物が同じとか…相当嫌ってんだな。孫権の場合、才があっても「部下のおかげだから!」と言われる点で損してると思う -- (名無しさん) 2013-01-20 18 10 55 どうだろう?彼は、酔い潰れるまで飲酒を強要し(虞翻・張昭)、公衆の面前で人を侮辱するの(諸葛瑾)を好み、わがままで(張昭・谷利)、猜疑心が強く容赦なく殺戮を行い、それが晩年には愈々募ったクソッタレだ(カッコ内は関連人物又は被害者)。特に二宮の変、周瑜が万一存命だったとしても、陸遜と同様に諫めたろうし、孫権の対応もまた陸遜に準じた物となったろう。孫和の子の孫皓は丁度この渦中で産まれ育っており、彼の凶暴性が生来の物であったとしても、この騒動で蕾を膨らませたであろう事は明白である。陳寿は「孫呉の滅亡の遠因が彼に無いとは言い切れない」と婉曲的に断言しているが、その通りである。本作に登場する彼の被害者は、張昭・諸葛瑾・吾粲・顧譚・張休・孫和・孫亮である。また寵愛された部下は甘寧・凌統・蔣欽・潘璋・呂蒙(学問に目覚める前は荒くれ者)と、見事にゴロツキばかりである。つまり彼の本質はそういう事で、類友なのである。 -- (名無しさん) 2013-02-27 19 07 49 ↑うっとおしいからゲームについて語る気ないならよそ行ってやれや -- (名無しさん) 2013-02-27 21 26 11 ↑2ここは人物評論をする場所ではないのですよ。 -- (名無しさん) 2013-02-28 12 21 40 孫権の何がそんなに憎いのやら コーエーは孫権が嫌いだと言われている一方、今回の特技は絶妙 (使い勝手にしろ史実の再現にしろ) 武力こそ低めだが戟A持ちで知力・統率も安定しているので、君主時でも武官文官問わず戦場に連れていける 編集なしでの親愛武将が少ないのが惜しい。 -- (名無しさん) 2013-03-01 01 04 28 列伝とは裏腹に老害は再現されていない。 気になる人は能力持続を「早熟・短い」にしてみよう。 晩年の魅力は80程度まで落ちる。 -- (名無しさん) 2013-12-11 12 57 30 老害が再現されていないのは演義の影響と言ってもいいような 孫権は正史との落差が叩かれる蜀より、かなり得している -- (名無しさん) 2014-03-02 16 21 36 君主が孫家の人で登用すると、「【名前】の招きをどうして断れよう」ていってた -- (名無しさん) 2014-06-15 10 41 30 ↑登用者(孫家に限らず)が血縁関係ならデフォルトのセリフだぞ -- (名無しさん) 2014-06-16 12 00 09 親愛は編集で何とかなるが専用台詞が少ないのは寂しいな あと、晩年のアレが再現されてないのはシステム上妥当な成長タイプが無いからだと思う ↑3のとおり早熟短いだと40前でもう下がり始める。いくらなんでも早すぎ -- (名無しさん) 2014-07-14 22 48 30 どうも俺のイメージと特技が合わないんだよな。みんなの意見をよくきいて判断してると思うから、うえからえらそうにもの言うような指導というイメージはないんだよな。 -- (名無しさん) 2014-07-25 22 26 18 「呂蒙・蒋欽。お前ら頭が良いんだから勉強しろよ」→呂蒙司令官の誕生 理由はそれだけ -- (名無しさん) 2014-07-26 04 27 05 指導を活かすべく君主なのにあちこち飛び回っているさまは史実の立ち位置と合ってると思う 特技に限って言えば君主じゃない方が使い勝手がいいのはちょっと悲しくもあるが まあ本人の能力も単独で使えるくらい高いからな -- (名無しさん) 2014-08-11 22 59 55 多分君主でやるより、孫策君主で後方都市の育成要員にするのが一番かも -- (名無しさん) 2014-08-12 04 41 25 基本的に前線向きが多い君主クラスの中では、珍しく後方よりの能力。ただし特技は前線向きなので悩みどころ。 知政は建設・防計要員としては充分な数値があるので、動員兵力を無駄にしないためにも適当な義兄弟を作って前線に投入したいところだ。 オススメは統武が高くて政治を補えて、かつ特技が超優秀な朱桓あたり。また長沙にいることが多い魏延もなかなかよい。連戦+指導でモリモリ経験値をためられるし、魏延の裏切りも防げて一石二鳥。 -- (名無しさん) 2014-08-18 01 12 35 父とも兄とも親愛関係はない(というかこの一族殆ど家内親愛関係がないんだけど)上に義理もそれほど高くないので、兄や父が君主の場合は普通に引き抜ける。 流石に兄の勇将や妹の弓将には及ばないものの、指導もちで知政が高いため、育成教官としては価値が非常に高く、引き抜く価値は充分すぎるほどある。ただし野望も高いので、引き抜き先では官位はあまり与えないほうがよい。 主将向きの能力ではないし、政治は元から高いので政治+の恩恵も少ない。これは孫呉勢力で運用する場合も同様だ。 -- (名無しさん) 2015-03-14 11 54 19 完全に能力は内政向き。誰かと義兄弟にして使うなら別だが、主将には向いてない。 指導には内政向きの効果もあるので内政での活躍、それと若手の育成が主な運営方になるか。 -- (名無しさん) 2016-10-20 12 21 56 君主なのに主将向きじゃないってのも悲しいね・・・ ただ、次世代の育成には最高。指導は、「人を活かして」戦った彼らしい特技である。 -- (名無しさん) 2017-07-10 23 56 33 君主で戦場に立てる方がそもそもおかしいんだよ、大将ってのはやっぱ城にいるもんだ。曹操や劉備が特殊なんだよ -- (名無しさん) 2017-07-11 16 40 38 いつか二宮の変周りの「どっちもどっち」感を演出してもらいたい。 それはそうと、ゲームだと戦争もそこそこできるのな。てっきり統率<武力だと思ってたが・・・ -- (名無しさん) 2017-10-15 12 34 42 そこそこできるとはいえ一線級相手だと単体じゃ張れないから、副将ありきだね。 -- (名無しさん) 2017-10-16 11 00 15 列伝の正史のところに「陸遜ら多くの能臣を死なせた馬鹿」と書いてるけど、 馬鹿っていうのはいくらなんでも主観的な気がする。正史にもそんな記述は無いでしょ -- (名無しさん) 2017-12-17 17 14 25 というか、そもそもこのページの列伝はゲーム中の列伝を書くところで、 個人の裁量で好き勝手に書いていいところじゃないと思ってたけど、違うの? -- (名無しさん) 2017-12-17 19 53 38 低レベルな悪戯する人がいるもんだな・・・ 直しておきました。 -- (名無しさん) 2017-12-17 22 31 51 まあまあ -- (名無しさん) 2021-09-25 19 33 55 名前 コメント すべてのコメントを見る